スウェーデン人フォトグラファーの仕事の流儀

CHRISTOFFER RUDQUIST

2020-11-18

フォトグラファーになる夢を掴んだ、現在は東京を拠点に活躍しているクリストファー・ルドゥクィストさん。 どんなふうに撮った写真でも、そこには自分自身が投影されているものだと語り、パーソナルな作品も仕事で撮った写真も似通っていて、クライアントのために撮影したものと自分自身のために撮ったものの間に大きな違いはないと話します。様々なメディアや企業との関係作りの経緯や、愛機のH6D-50cの実力についてなど、いろいろお話を伺いました。

COURCHEVEL LIFT: HC80mm

ご自身とカメラの出会いを教えてください。

おかしな話ですが、僕の祖父も一時期フォトグラファーだったことを、つい4年くらい前に初めて知りました。祖父は1900年初頭に生まれたんですが、20代後半の頃にスウェーデンの田舎を自転車で巡って、ガラス乾板カメラで農民や労働者のポートレートを撮っていたそうです。

僕自身も、ハッセルブラッド本社から車で約2時間のスウェーデンの田舎町で育ちました。初めてのカメラは、11歳の時に父から譲り受けた古い一眼レフ。父は僕のためにトライ-X白黒フィルムを購入し、僕らはそのカメラを携えて車でノルウェーに出かけました。

だだっ広い農地にたくさんの牛が暮らす故郷の町とはかけ離れた、見たこともない美しい景色を前にして、僕は目の前に連なる山々を夢中でカメラに収めたのを覚えています。家に戻ると、父にネガの現像方法を教わり、旅の写真を現像しました。そのカメラはいまだに大切に持っています。

そのあとすぐに、僕は実家にあったサウナ室を、僕の一存で暗室に改造しました。両親にしてみるととんだ迷惑だったと思いますが、その時から、写真は僕の人生の大部分を占めることになり、代わりにサウナが父と母の人生から消滅ました(笑)。でも僕は、いつも首にカメラをぶら下げているような子どもではなかったんですよ。思い立ってたくさん写真を撮るんだけれど、部屋の隅では現像されるのを待つフィルムロールが山となっている、そんな子どもでした。

90年代の終わりには、インド、ネパール、インドネシア、タイ、中国を8カ月間かけて旅しました。人々の営み、建築物、そして風景にすっかり魅了されましたね。この旅は、単なる趣味として以上の存在として写真を追求するにいたる、極めて重要な体験となったと思います。でも、どうしたら僕の人生に変化が起こせるのか、その術はまだ知りませんでした。一体どうすればフォトグラファーになれるんだろう?といつも考えあぐねていたんです。

そんな時、スウェーデンの写真雑誌で、ニューヨークにあるICP(International Center of Photography)という学校についての記事を見つけたんです。ICPで学んだスウェーデンの学生が、プログラムの内容やニューヨークでの生活について語ったインタビュー記事でしたが、読んだ瞬間、これかもしれない!と思いました。

その元学生が、僕の家からそう遠くないところに住んでいることがわかったので、ストーカーさながら(笑)地元の電話帳で彼女を探し出し、電話しました。すると彼女はポートフォリオ作りを手伝ってくれたばかりか、履歴書と願書の書き方まで教えてくれたんです。彼女のサポートには、今でもとても感謝しています。

当時は両親とは別に住んでいて、暗室にアクセスできなかったので、ポートフォリオを作る際にはネガスキャナーとプリンターを購入しました。正直、どちらも僕にとって新しすぎて、自分でも何をやっているのかよくわからないような状態でしたが、数え切れないほどの失敗をした後、ようやくポートフォリオの準備を完了。そして、あまり期待せずにICPに送ったんです。

ICPに応募したのと同時期に、ミャンマー情勢についての個人的なドキュメンタリープロジェクトを開始しました。僕自身が重要だと思った事柄について、人々にメッセージを伝えようとした初めての挑戦であり、趣味としての写真の先を見据えた初のプロジェクトです。

繰り返しになりますが、とにかく何をやっているのか自分でもわからない状況でありながらも、何はともあれこの旅をしなければならないと感じていたんです。そこで、ミャンマーからの難民をタイで支援し、タイとミャンマーの人々を繋ぐ活動を行っている組織と連絡を取りました。

正直、これまで経験した中で、最も恐ろしい冒険でしたね。人間の非道さと、最も美しい側面の両方を目の当たりにしたと思います。その時撮った写真は、非常に生々しい物語を紡いでいて、今でも僕の心をえぐります。

ミャンマーから戻ると、なんとICPへの入学が決まっていました。喜び勇んでニューヨークに引っ越したのは、2000年の夏の終わりのことでした。

入学初日は、教師たちによって面談形式でポートフォリオのレビューが行われました。僕のポートフォリオは、当時としては珍しく、光で焼きこんだ写真プリントではなくインクジェットプリントだったため、冷や汗もの。教師たちは僕のプリントを見て、「チバクロームか、ラムダか…」なんて言いながら、それがどのようなテクニックで焼かれたものであるかを話し合っていました。「それ、インクジェットプリントです…」と告げたときの彼らの顔は、ご想像におまかせします(笑)。

2000年代の初めは、フィルムからデジタルへのシフトが顕著化し始めた頃で、技術的に見てとても興味深い時期でした。Photoshopについても、今日の「AI」のように、みんなそれぞれ異なる考えを持っていて、デジタル写真は必ずしも本物の写真とは見なされていなかった。でも、新しいメディアとその可能性に密かに興味を持っている人は多かったと思います。

アンドレアス・グルスキーがMOMA(ニューヨーク近代美術館)で個展を開催した時には、誰も彼もが「きっとすべてPhotoshopで加工された作品だろう」と少しネガティブなニュアンスを添えて話していました。そんな中、僕はというと、彼の作品に触発され、グルスキーを始めとするドイツ人フォトグラファーたちのムーブメントである、「Dusseldorf School of Photograph」にのめりこんだんです。僕の興味も、彼らの主な題材でもあった風景や地形に向けられるようになりました。

その頃から僕は、4x5の大判カメラを使い始めました。でも、ネガを現像する代わりに、スキャンしてPhotoshopでレタッチすることにしたんです。そしてデジタル暗室を使って発見したことは、写真で今までにない新しい世界を表現できるということでした。ちなみに僕はちょっとしたコントロールフリークで、いろんなものにとことんこだわってしまいがちなタイプなんですが(笑)、デジタルではそんな僕がやりたいことがすべてできるばかりか、結果をすぐに見ることもできました。学べば学ぶほど、自由になっていくんです。ICPの卒業展覧会で新作を発表し、幸運なことにその夏、ノリータ地区のギャラリーで個展の機会を得るに至りました。

ところで、ICP在学中のある日、日本人の若い女性に出会いました。同じプログラムを履修していましたが、クラスは別。1歳違いでしたが誕生日がほぼ同じで、お互い一人っ子でした。あっという間に意気投合し、その夏、一緒に日本に行ったと思ったら、半年後には結婚していましたね(笑)。

その後の数年は、自分の作品制作と、雑誌などの媒体をクライアントとする仕事に取り組みました。京都で写真展を開催する機会にも恵まれ、また、アートディレクターの中島英樹氏が雑誌『Cut』のPHOTO-GRAPHIXセクションで僕の風景写真を紹介してくださったこともあります。

そうこうするうち、イギリスのフォトエージェンシーと契約し、ロンドンに引っ越すことになりました。そこでの初めてのクライアントの1つが『Wallpaper *』だったんですが、とても刺激的でしたね。ありがたいことに彼らは日本の建築に目がなかったので、数週間日本に滞在して、妻の両親と過ごしつつ仕事をするという、とても効率的な働き方(笑)をしたものです。

SCOTLAND STILL LIFE WALLPAPER MAGAZINE: HTS 1.5 + HC50mm

この頃から、イギリスのデザイン誌『GRAPHIC』をクライアントとしたスチルやポートレートの撮影も始めました。そんなある日、あるアートディレクターと出会ったんです。彼はフランス人で、僕はスウェーデン人。どちらもロンドン住まいのヨーロピアンですし、すぐに意気投合しました。

そしてその彼から、アメリカのある製薬会社のリブランディングを依頼されたんです。彼らが求めていたのは、よくある企業風の広告写真ではなく、新しくてコンテンポラリーな作品でした。そこで僕は、クリーンで、無機質で、アングルがまっすぐな写真を撮影しました。アート作品を目指したんです。

そこでできあがった作品は、我ながらなかなかのものでした(笑)。だからそのうち数枚を、編集部に知り合いがいたわけでもないんですが、雑誌『WIRED』に送ってみたんです。結果これが、長年のパートナーシップの始まりとなりました。

『WIRED』では主に、インダストリアルな風景、車、スチル、発明家のポートレートなどを撮影しましたが、海に沈みつつあるジャカルタの町の風景などドキュメンタリー写真に戻る機会もくれたことに、編集部にはとても感謝しています。

この間に、『Esquire』、『GQ』、『クリスティーズ・オークション』といった媒体や、『アストンマーティン』、『アウディ』、『ブリティッシュエアウェイズ』、『フェラーリ』、『パテックフィリップ』 『ピクテ銀行』といった企業とも関係を築きました。性格的にいろんなものに興味津々なので、クライアント側としても様々な仕事を振りやすいんでしょうね。

『Esquire』誌からデザイナーや職人の写真を撮ってきてほしいと言われれば、イタリアの老舗バッグメーカー『ボッテガ・ヴェネタ』の工房に行って、名品の製作過程を撮影したり、大阪・堺の小さな工場に行って、日本伝統の包丁が作られていく様子を撮ったりしました。こういった際は、一体どうやって製品ができているのかを完全に理解するために、ディテールや内装、そして人々をじっくり観察しながら撮るんです。

FERRARI SCAGLIETTI: HC35mm

『クリスティーズ・オークション』誌では、アートコレクターやアーティストを撮影することが多かったですね。アートワーク自体を主役にせずに、取り巻く環境の中でどうそのアートワークが活かされてるのかを捉えることに心を砕きました。

CHRISTIES DIRECTOR TOKYO: HC120mm

『GQ』誌や広告写真では、『アストンマーティン』の車体撮影時にも行なったように、フィクションのストーリーを作り出しました。ファッション写真と同じですね。すでにある環境を使うのではなく、アイデアに基づいてセットとムードを構築するんです。また違ったレベルのクリエイティビティ、つまりファンタジーが生まれるので、とても刺激的なんですよ。

ASTON MARTIN LAGONDA: HTS 1.5 + HC50mm

どんなふうに撮った写真でも、そこには自分自身が投影されているものだと思います。だからパーソナルな作品も仕事で撮った写真も割と似通っていて、ほとんどの場合、クライアントのために撮影したものと自分自身のために撮ったものの間に大きな違いはないですね。もしかすると幸運なことなのかもしれません。

ところで2年前に、妻がここ東京で仕事に就いたんです。それまでも日本に引っ越す可能性について話してはいたんですが、機が熟していないと感じていました。ところがある日、フリーで編集の仕事をしながらふと思い立ってLinked Inのアカウントを作成した妻のもとに、なんと24時間以内に仕事のお誘いが。これはもう運命と、思い切って引っ越しを決めたんです。

ちょうどその頃、友人と一緒に、ロンドンの文化施設であるバービカン・センターについての本を作っていました。ちょうど発売間近の時期だったので、引っ越しの荷造りを兼ねて僕がロンドンに残り、妻はスーツケースを2つだけ抱えて東京へ。そして、新しい仕事に就くと同時に新生活の準備を始めました。僕は、本の発売記念パーティーの翌日、東京行きの飛行機に乗ったんです。

ハッセルブラッドのカメラはどのような経緯で使い始めたのですか?

スウェーデンで育ったので、ハッセルブラッドとその歴史は身近なものでした。僕にとっては、「月面に着陸したカメラ」。でも、所有するには遠い存在でした。

キャリアをスタートして間もない頃はスウェーデンでの仕事が多かったのですが、その頃たまたま友人から借りたのがハッセルブラッドのアークボディでした。私が知っていたハッセルブラッドとは全く違ったコンパクトなサイズと、そのサイズにそぐわない可能性に驚きましたね。

いつも使っていた4x5の大判のカメラは、特に飛行機に乗る際は重くてかさばり大変でしたし、常に手荷物の重量を気にしていなければならなかった。そこで、いろいろ考えた末に中古のH2を購入したんです。そして仕事の際にHTSアダプターを使用したところ、もう夢中に!あり得ないくらい簡単でスピーディーで、4x5のように冠布でせっかくのヘアスタイルがぼさぼさになることもありませんでした(笑)。

その後の数年間は、バックとレンズをレンタルでまかなって過ごしました。そして、満を持して中古のデジタルバックを2つ購入。唯一の問題は、ビューカメラでデジタルバックを使用する際にライブビューが見られないことだったのですが、H6D-50Cが発売されてそれも解決。その高い適応性にも感嘆し、購入を決意しました。

ARTIZON MUSEUM TOKYO CHRISTIES: H6D-50C+35mm Technical Camera

ハッセルブラッドの製品の気に入っている点を教えてください。

H6D-50Cは、僕がカメラに望むほぼすべてを備えています。レンズからボディ、デジタルバックにつながる素晴らしいインテグレーション。特に僕はビューカメラも使っているので、H6Dのバックの性能だけ取っても本当にありがたいんです。あまり知られていない機能かもしれませんが、例えばビューカメラに接続した際に、デジタルバックのスクリーンから直接シャッターが押せる「ピンホールモード」というのがあるんです。この機能のおかげで、古いレンズのデリケートなcopalシャッターを使用する必要がなくなります。また同様にフラッシュについても、バックの「3.5フラッシュシンク」を併用することでcopalシャッターを介さずに直接使えるんです。

最近は、動画撮影にもH6Dを使い始めています。動画撮影は僕の主な仕事ではないんですが、いくつかのプロジェクトですでに使用し、非常に満足しています。動画モードで一番気に入っているのは、ハッセルブラッドレンズならではの素晴らしいボケを取り込めること。HTSアダプターを使うこともできますし、なんとビューカメラでも動画を撮影できるんですよ!しかも、RAWファイルで。

僕のいつものセットアップは、35mm、50mm、80mmと120mmレンズで、HTSアダプターとエクステンションチューブも持っています。個人的には、備わった機能と柔軟性を鑑みると、H6Dは今市場にあるもののうち最も適応性の高い、オールマイティーなカメラの一つだと思っています。

AMAN HOTEL ESQUIRE: H6D-50C+47mm Technical Camera

中判デジタルカメラの実力はどのような撮影シーンで実感されますか?

僕にとっては細部のディテールが非常に重要なので、被写体を可能な限りシャープに捉えられることは大前提なんですが、「ディテール」と言った時に僕が考えているのは、ハイライトやシャドウ、そして自然なグラデーションのこと。僕は特に風景、車、ポートレート、マクロのいずれであっても様々な露出を試みるんですが、中判カメラなら撮影したファイルにすべての詳細な情報が写りこんでいるので、ポストプロダクションの際にそれらを用いて様々なことができる。そこに、中判デジタルカメラの本領が発揮されると思っています。

GQ MAN OF THE YEAR JONATHAN YEO ARTIST: HC50mm

H6D-50Cが作品の仕上がりに与える影響は?

今日の中判デジタルは僕たちの時代の4x5だと言えると思うのですが、35mmデジタル一眼レフの便利さも備えていますよね。つまり、不安定な場所を含むありとあらゆる状況下で、素晴らしい品質の写真が撮影できるということ。また、ダイナミックレンジが広いということは、以前は不可能だった方法で画像をレタッチできることも意味します。 クリエイティビティという点で、やりたいことがすべて可能なカメラですね。

今後のご予定や目標などあれば、教えてください。

僕も含め、新型コロナウイルスの流行は、世の中の人々の流れを止めましたよね。外国人の日本への入国(再入国)が禁止されたため、いつものクライアントのために日本国外に撮影に出掛けることができず、いくつかの機会を失いました。でも一方で、ここ日本で新しいクライアントからの刺激的な仕事にも恵まれました。

コロナがまだ収束しそうにないので、将来を予測するのはちょっと難しいのですが、良かったなと思うのは、身の回りやこれまでの作品を眺めて、今までに達成したことや次に何がしたいのかを振り返る時間ができたことです。

今は、東京での生活を基にしたブックプロジェクトのほか、ロンドンのエージェンシーとプリントプロジェクトも進めています。いくつかの仕事も予定されていますし、こんな状況ではありますが、なんとか朗らかに過ごさせてもらっています。早くまたみんなに以前のような暮らしが戻るといいですね。

プロフィール

クリストファー・ルドゥクィスト

スウェーデン生まれ。米ニューヨークのICP(International Center of Photography)で写真を学ぶ。十数年間居住した英ロンドンから、約2年前に東京に移住。DMB Represents所属。

Website www.christoffer.co

Instagram @crudquist

www.dmbrepresents.com

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桑島智輝

Tomoki Qwajima

1978年岡山県岡山市生まれ。写真家。
2002年に武蔵野美術大学卒業後、鎌田拳太郎氏に師事。
2004年に独立後、雑誌やタレント写真集、広告で活躍している。
2013年に、約2年半の安達祐実を収めた写真集「私生活」(集英社)を発表。
2019年に写真集「我我」(青幻舎)、2020年に写真集「我旅我行」(青幻舎)を発表。

使用機材:X1D II 50C

Instagram @qwajima

Website https://qwajima.com/

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日本の広告撮影の第一人者として資生堂のクリエイティブの撮影を手掛けながら、ご自身の作品のプロジェクトでも精力的に活躍されている金澤正人さん。今回は907X 50Cを使って今の時代への想いを込められた作品を制作されました。

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TAKAKI_KUMADA

2004年独立。

モード誌、CDジャケット、広告のほか、ファッション・ムービーやCFの撮影も手がける。

使用機材:

907X

CFV Ⅱ 50C

H5X

H2

503CW

500C

Website : takakikumada.com

ロレンツォ・バラッシ

LORENZO BARASSI

ミラノのデザイン学校を卒業、1995年よりアシスタントとしてカメラマンに従事。1998年、ミラノで自身のスタジオを構え、広告、ファッション、雑誌、CDカバー等のフォトグラファーとして活動。2002年よりフリーへ転向、2008年より現在も東京をベースに広告、デジタルクリエイターとして活動。2011岩手県陸前高田にて、Italians For Tohoku (東北復興のためのイタリア人会)の一員として支援活動を行う。2016年より日本製ドレスブランドのデジタルプロダクション(ウェブサイトやソーシャルメディア等)マネジメント等も手掛ける。照明を駆使したアーティスティックな作品を得意とする。

使用機材: X1D-50c, H4D-40

Website: https://www.lnz.it/

Instagram: @ellennezeta

戎康友

YASUTOMO EBISU

写真館を営む祖父と父の影響で日本大学芸術学部写真学科へ進学。卒業後、写真家として独立。

アメリカやヨーロッパを旅しながら現地の人々を撮影した ポートレイト作品を発端に、ファッション誌のエディトリアルや広告、 アーティストまで、ポートレイトを中心に活躍。

使用機材: H6D-100c, X1D II 50C

Website: http://www.ebisuyasutomo.com

Instagram: @yasutomoebisu

濱村健誉

Kiyotaka Hamamura

1986年山口県下関市生まれ。文化服装学院を卒業後ロンドンへ渡英。

ドキュメンタリーを中心に撮影後、帰国しイイノスタジオで勤務。

その後ニューヨークへ渡米。自身のアートワークとMagnum Photosでのインターンを経て、現在東京をベースに活動中。

使用機材: H6D-50c, X1D ll 50C, Hasselblad 553ELX, 500C/M, 555ELD,

Website: https://kiyotakahamamura.com

Instagram: @kiyotakahamamura

水谷太郎

TARO MIZUTANI

1975年東京都生まれ。写真家。

東京工芸大学芸術学部写真学科卒業後、自身の写真家活動を開始。 ファッション誌をはじめコマーシャルフォトやアーティストのポートレイトなどを中心に活躍。

使用機材: H6D-50c

Website: https://www.bnm-jp.com/bnm-affiliation/?id=1382690313-624155

Instagram: @taro__mizutani

長山一樹

KAZUKI NAGAYAMA

2001年 株式会社麻布スタジオ入社

2004年 守本勝英氏に師事

2007年 独立 S-14 に所属

ファッションや広告、フォトブックなどコマーシャル界の第一線で活躍。ハッセルブラッドのV・H・X すべてのシステムを使いこなす。

使用機材: H6D-50c

Website:https://www.ngympicture.com

Instagram:@kazuki_nagayama

小川義文

YOSHIFUMI OGAWA

東京都出身。写真家。自動車写真の第一人者。国内外のさまざまな自動車メーカーの撮影を手がける。広告写真では日本広告雑誌対象など多数の受賞歴がある。自らの写真論をまとめた「写真家の引き出し/幻冬舎」、写真集「小川義文自動車/東京書籍」など著書も多数。小川義文監修「花の写真FBグループ展」は今年で7年目を迎える。またラリードライバーとして「パリ・ダカールラリー」「トランス・シベリアラリー」などに出場した経験も。日本広告写真家協会、日本自動車ジャーナリスト協会会員。

使用機材: X1D II 50C

Facebook: https://www.facebook.com/yoshifumi.ogawa.9

当瀬真衣

tousemai

2008年 多摩美術大学 美術学部卒業、GO SEES 入社

2010年 富田眞光氏に師事

2013年 独立

2016年 TRIVAL 所属

ライティングに定評があり、女性の美しさを最大限に引き出すことを得意としている。現在はビューティー・ポートレートを中心に広告・エディトリアルの分野で活動中。

使用機材: X1D II 50C, X1D-50c, H3DII-50

Website:  http://tousemai.com  / http://trival.jp

Instagram: @tousetouse / @trival_management

土屋 航

KO TSUCHIYA

高校卒業後渡米。

アメリカの大学を卒業後、ニューヨークでフォトグラファーとしてのキャリアをスタートさせる。

帰国後は国内外のカルチャー/ファッション誌を中心に、ファッションショーのランウェイやバックステージ、ブランドのカタログ撮影などを中心に活躍。

使用機材: H4D-60, 500C/M

Website:https://kotsuchiya.com

Instagram: @kotsuchiya

上田晃司

KOJI UEDA

米国サンフランシスコに留学し、写真と映像を学ぶ。現地滞在中からテレビ番組、CM、ショートフィルムなどを制作。帰国後、写真家・塙 真一氏のアシスタントを経て、フォトグラファーとして活動開始。現在は雑誌、広告を中心に活動。

ライフワークとして世界中の街風景やそこで暮らす人々を撮影。月1 回のペースで世界の街を訪れて撮影をしている。近年では、写真教室の講師や講演、書籍の執筆活動も行っている。Hasselblad 2015 ローカルアンバサダー。

使用機材: X1D-50c, 907X Special Edition

Website: https://www.koji-ueda.com

YouTube:「写真家夫婦上田家」

https://bit.ly/3cTNQpu

Twitter: https://twitter.com/kufoto/

若木信吾

SHINGO WAKAGI

1971年静岡県浜松市生まれ。写真家/映画監督。

ニューヨークロチェスター工科大学写真学科卒業。
雑誌・広告・音楽媒体など幅広い分野で活動中。

雑誌「youngtreepress」の編集発行を務め、浜松市の書店「BOOKS AND PRINTS」のオーナーでもある。映画の撮影、監督作品に「星影のワルツ」「トーテム~song for home~」「白河夜船」(原作:吉本ばなな)などがある。2018年「若芽舎」という絵本レーベルを立ち上げ、幼児向け絵本のプロデュース、発行人も務める。

使用機材:907X Special Edition

Website: http://www.shingowakagi.net/

Instagram: @swakwack

吉川幸宏

YUKIHIRO YOSHIKAWA

2006年(株)コンパクトフォトプロダクツ設立

2011年 個人事務所f8を大阪にて設立

現在に至るまで多くの企業広告をハッセルブラッドを中心に撮影している。京都市在住。

使用機材: H4D Stainless Model, X1D-50c

Website: http://www.f8photography.jp

Tumblr: https://f8f8f8.tumblr.com

Instagram: @hyssviewf8/