日常を丁寧に切り取るということ 

Nana*

2020-04-26

Tags: X System X System Cameras

この一年、HASSELBLAD X1Dで日常を切り取り続けてきた。

X1Dというカメラについて語る前に、少しばかり自己紹介をしたいと思う。私がテーブルフォトを本格的に始めたきっかけは、今から7年前、ある陶芸作家の器に一目惚れしたことだった。日常の中でその器を使う楽しさを、自分以外の誰かに知って欲しくなったのだ。それから今に至るまで、自分の日常を切り取ることで作品の魅力を伝え、それを使うシーンを想像してもらえたら...などとを考えながら、テーブルフォトを日々撮り続けている。

そんな私が一年前に出会ったのがX1Dというカメラだ。X1Dは日常を丁寧に切り取るのに相応しい。日常の中で感じられる光と空気、時に見落としてしまうようなものまで写し取ってくれる。ファインダーを覗くたびに小さな感動があり、日常の風景を切り取る楽しさを教えてくれるのだ。まさに自分のライフスタイルにマッチしたカメラのように感じた。

器を撮れば、釉薬の微妙なムラも、フォーカス領域の外にあっても表現され、古道具を撮れば、古布の擦れ、古紙の風合い、缶の錆などの経年変化が写し出され、それらが経てきた時代を感じられるような気がしてくる。

何気ない朝食風景の中にもその表現力を見て取れる。目玉焼きの上の胡椒でさえ立体感がある。この粒はさらに粒子が細かい、肉眼では粉のように見えるものでも同様の描写となり、粒度に関わらず立体感が表現できるように感じた。

私の場合、料理写真は器を見せる目的で撮ることがほとんどなので、料理は主張しすぎないようなシンプルなものが多い。シンプルだからこそ、誤魔化しが効かず、器に盛った時の見栄えも重要だ。なるべく日常のままを切り取るために、ラフさを生かして盛り付ける。

苺をどこに添えたら、赤さが際立つだろう、そんなことを考えながら。X1Dで切り取った一枚を見て、なんでもないシンプルなグラノーラボウルに魔法がかかったように思えた。添えた苺は産毛の一本一本が鮮明に写り、まるで手に取れるかのような描写力だった。

何となく写っている部分も、柔らかいボケながらもしっかり写っていて、脇役としての意義を感じさせてくれる。私はいつも、写真に映り込む全てのものが写真に影響を与えると思いながらスタイリングしている。スタイリングといっても、切り取りたいのは日常のシーンだから、特別作り込んでいるわけではないが、そこに添えるものの位置を、数センチ、時に数ミリ単位で調整する。背景にボケて写るものも、明確な意図を持って配置する。このプレートと相性が良く、プレートと料理を引き立ててくれるのはどんな質感のカップだろう...そんなことを考えながら。しかしいざ撮ろうとするとイメージとの誤差が生じることがある。階調が潰れてしまうからだ。

しかしX1Dではそのようなことがなく、主役を引き立たせるために置いた脇役が、階調を保ったまま程良い具合にボケてくれ、それが空気感を作り、意図通りの役割を果たしてくれる。狙い通りに撮れると言っても過言ではない。丁寧に切り取ろうとするほど、X1Dはそれに応えてくれた。

花を撮るのも以前よりも楽しくなった。

花を撮るのは趣味の一つで、自宅に飾る花を買う度に写真に残してきたが、中でも印象に残っているのは、120mmのマクロレンズで撮影した白いマトリカリアだ。マトリカリアは、花弁の表面に光を当てれば白一色のように見えるが、俯瞰で逆光気味に撮ると、花の微妙な重なり具合で影になる部分が出来る。それが美しい階調となり、奥行きのある仕上がりになった。ファインダーを覗くことで、肉眼では見逃してしまいがちな白い花の美しさを感じることができた瞬間だった。

X1Dは、シャドウまで階調やディテールを再現してくれる。色やディテールは光が当たることで伝わりやすくなるものだが、被写体の背後からの光で撮影すると、被写体自体が光を遮るので、拡散しやすい自然光であっても、それらは伝わり難くなる。しかしX1Dで撮影したマグは、釉薬の繊細な流れやグラデーションがしっかりと表現されている。

日常の中でさえ、撮る度に驚きと感動がある。X1Dが描く世界を、シャッターを切ってもっともっと見てみたくなる。このカメラが持つ未知数の可能性を今後も楽しみにしていきたい。

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Nana*

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