Gered Mankowitz

ハッセルブラッドで音楽の歴史を捉える

ハッセルブラッドは英国人フォトグラファー、Gered Mankowitz(ゲレッド・マンコヴィッツ)が使用した唯一のカメラシステムです。彼はハッセルブラッドを使用し、歴史上の象徴的で重要なロックミュージックのシーンの数々を捉えてきました。その中でもローリングストーンズやジミ・ヘンドリックスの写真はその時代の雰囲気をリアルに捉えた一枚として高く評価されています。

ジミ・ヘンドリックス

ゲレッドの最初のハッセルブラッド 500C

ゲレッドは最初にハッセルブラッドのカメラについて教えてもらった時の事をこう回想します。“当時、ピーター・セラーズが父のビジネス仲間でした。13歳の時、日曜日の昼食の時間に彼がうちに遊びにきた時の事です。彼はカメラが趣味で、私と弟を彼のハッセルブラッドで撮ってくれました。その全ての所作が私を虜にしました。ピーターはその事をすぐに察し、カメラの詳細な部分に関して可笑しなスウェーデン訛りで説明してくれたのです。彼は本当に面白く、最後には涙が出るほど笑い転げました。以来、カメラとは笑いや幸せな時間をもたらすものだと考えるようになりました。その後、ロンドンで色々な意味での高等教育を受け、15歳で学位も取らずに学業を離れました。きっかけは、オランダへの修学旅行で改めて写真に対して興味を抱き(セラーズとの思い出も瑞々しく蘇り)写真への道に進む事を決意します。父親を説得し、自分が使っている姿を唯一思い描くことができたカメラであるハッセルブラッド 500Cを手に新しいキャリアの道に進みました。

ユーリズミックス

ハッセルブラッドは手に取るだけで自然と心地よく感じます。私がこの独特な所作を要するカメラを使用していた事実は、私以上に撮影している人々を威嚇していたかもしれません。しかし、私は単に写真のクオリティを求めて使用していたのです。その美しさとシンプルな操作感覚に本当に魅せられていきました。

ケイト・ブッシュ

ニッチを見つける

彼のキャリア初期には色々な種類の写真を模範にする機会がありました。著名な報道エージェントを創立した写真家、トム・ブラウから手解きを受けるかたわら、バルバドスへの家族旅行中にブリッジタウン空港に着陸した最初のボーイング707を撮影する仕事をなどもプロとして請け負いました。著名ファッション・フォトグラファー、アレック・ムラリーのパリでの秋コレクションの撮影の仕事を手伝ったりもしましたが、あまりピンと来ず、彼自身の将来はそこには無いと確信したようです。

「私が本当にやりたかった仕事は世界のショービジネスに関わる事だったのです。」、「1962年にブリストル・オールド・ヴィックが製作したアメリカのミュージカルの’フィオレオ’の撮影を依頼され、その中の1枚が劇場の正面に飾られました。この演劇がロンドンで行われた際も撮影し、当時はそのような大仕事を手掛けた最も若いフォトグラファーだったようです。」と彼は当時の記憶を語ります。

エリザベス・テイラー

その後、ゲレッドはショービジネス界でのポートレート撮影の専門家である、ジェフ・ヴィッカース卿の元で仕事をこなし多くの俳優たちを撮影するチャンスを得ました。ゲレッドは当時、絶対的に革新が必要とされている音楽業界で仕事することに非常に興味を持っており、実にタイミングの良いことにエンバーレコードと契約したばかりのフォークロックデュオ、チャド&ジェレミーのファーストアルバムのカバー写真を撮影することになりました。それは新しい世代のプロデューサー、マネージャーとする仕事する機会につながり、同世代の多くのパフォーマーたちを撮影することで、保守的なスタイルのフォトグラファーとの差別化を図ることが出来たのです。その後、数ヶ月でゲレッドの名は音楽業界で高まり、彼が撮影したパフォーマーたちも順調に売れはじめたのです。思いがけなく撮影したマリアンヌ・フェイスフルの写真が、まさに偶然で、のちのローリングストーンズのマネージャー兼プロデューサーで、当時彼女のマネージャーでもありプロデューサーでもあったアンドリュー・ルーグ・オールハムと繋がりました。

レッド・ツェッペリン

ローリング・ストーンズ

「ストーンズとは1965年以来の付き合いで、まさに私のキャリアを決定づけました。」とゲレッドは語ります。「私と彼らの最初のセッションは衝撃的なアルバム、‘アウト・オブ・アワ・ヘッズ’ のカバーでした。その流れで私は1965年の彼らの記録破りのアメリカツアーに帯同するよう頼まれました。6週間で36都市を巡るツアー中、彼らのオンとオフステージを写真に収めました。その後、彼らの公式フォトグラファーとしてアルバム写真、プレス、パブリシティー用の撮影を任されました。」

ゲレッドは世界を永遠に変えてしまうような衝撃に揺れ動く60年代の震源地に身を置いていたと言えます。「今では誰もその重要性とその影響に関して語りませんが、それは本当に異常な時代でした。誰もがあらゆることは可能であると信じて、そこにルールはありませんでした。」その輝かしい実例はゲレッドが撮影したアルバム、“ビトウィーン・ザ・バトンズ”でした。「その当時、私は撮影中に自信を持って提案することも多くなっていました。そしてヴァセリンを用意してレンズ面に薄く塗り、ソフトフォーカスのような効果で、ドラッグに満ちたような雰囲気を演出してみたのです。」

The Rolling Stones

ハッセルブラッドでカバーを撮る

当時、アルバムのカバー写真は大変重要視されており、12インチの正方形のフォーマットはアルバムのイメージを表現していました。偶然にも6x6のネガフィルムを使用するハッセルブラッドシステムは同一のサイズの比率であり、クロップなしで引き延ばすことができました。「その点が一番重要でした。」 、「その点がハッセルブラッドを使用する第一の理由です。レコードのカバー写真は最も重要である事は言うまでもなく、アルバムに必要不可欠な要素で、なぜならその背後にあるコンセプトも伝えることになるからです。また買う人にとってもアーティストの姿を見る機会にもなるのです。その当時では日常、どのような場所でもアーティストの姿を見る機会などなかったので、余計そのような意味合いは大きかったと言えます。」と語ります。


撮影時はいつも、どの写真がアルバムカバーになるのか考えたものです。ハッセルブラッドは6x6センチのフォーマットなので全ての写真がカバー写真になりうるものでした。彼がジミ・ヘンドリックスと彼のバンドを撮影した時、ゲレッドは心の中である考えを巡らせます。


ジミ・ヘンドリックス

ジミ・ヘンドリックス

「当時彼は無名でしたが、彼のカリスマ性と存在感にすぐに心を捕らわれました。」、「最初からスタジオで彼と彼のバンドを撮影しようと思いました。当時私はアヴェントン&ペンに強く影響を受けており、モノクロで撮影することにしました。そのようなアプローチでその写真には、ある種の重みを与える事が出来ると思ったのです。しかし、このアプローチは、やや時代の先を行きすぎた感があり、ある意味で代償を伴いました、なぜなら彼のマネージメント会社はカラーの写真をアルバムのカバーに選んだのです。」

そのモノクロの写真は当時あまり使用されませんでしたが、いまでは初期の彼の代表的なイメージ写真となり、ゲレッドが当時のパフォーマーを巧みに捉えた1枚として代表的な作品となりました。

「彼は私を認めてくれました。これは本当の意味で大切な事です。彼はカメラの前で彼自身として振る舞ってくれたのです。人々はそこにロックの神としてではなく、一人の人間の姿を見たのです。カメラの前で彼の快適で自信に溢れた態度を引き出せたのは私の特権だと感じました。」

ローリング・ストーンズ

ハッセルブラッドで築かれたキャリア

50年以上のキャリアを通して、音楽業界のフォトグラファーとは別に、広告、エディトリアルのフォトグラファーとしても同様にキャリアを築きました。それはたったひとつのカメラブランドと共に築いてきたと言えます。4台のフィルムカメラ、オリジナルの500C、次の500C、500C/M、500EL/Mだけを使用してきました。現在では個人的な作品ではH3Dなども使用しているようです。

「60年代を通してずっと最初のカメラを使用しました。いまでも盗難されない限りはこれ1台でこなします。」、「いわゆるギアおたくではなく、キャリアを通して4本のレンズのみ使用してきました。50ミリ、80ミリ、150ミリと使い始め、のちに120mmを加えました。50ミリは私の大のお気に入りでヘンドリックスの撮影などでも使用しました。歪まずに頭部だけが少しだけ誇張される感じに捉え、ロックンロールアーティストの姿を、それらしく捉えてくれました。」

ローリング・ストーンズ

「私は他に良いカメラが見つからなかっただけの理由でカメラシステムを変えなかったわけではありません。他のカメラを試す理由なども感じられず、自分が快適に使用できる機材があれば充分だったのです。」

Justin Mott

ベトナムへのラブレター

ベトナムを拠点とするフォトグラファーのジャスティン・モットは、今勢いに乗るプロとしての成功の多くを、個人的なプロジェクトから築きました。ジャスティンを過去10年間旅に連れ出した動機は、枯葉剤の壊滅的な被害に苦しむ犠牲者を対象としたフォトジャーナリズム研究でした。

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Dino Kužnik

孤独なアメリカ西部

アメリカ西部に惹かれ、多くの写真を撮り続けているクリエイティブなスロベニア出身の写真家ディーノ・カズニックは、拠点のニューヨークで数か月間のロックダウンを経験後、コロラド、ユタ、アリゾナ、ニューメキシコを横断する2週間のロードトリップに出かけました。中判フィルムでの撮影に慣れ親しんでいたディーノは、X1D II 50CとXCD 45mmおよび90mmの中判デジタルを旅の相棒に選びました。険しい砂漠の風景の自然溢れる地域をドライブしながら撮影したディーノの作品は、私たちを一昔前のアメリカへタイムスリップに連れ出します。

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Tom Oldham

XH コンバーター 0,8でレンズの新しい可能性を開く

907X 50Cで新しいXH コンバーター 0,8を最初に試した一人として、英国のフォトグラファーのトム・オールドハムはギリシャ人のモデルで活動家のビリー・デリオスと驚くべくダイナミックなスタジオセッションを行いました。907X、およびXシステムのカメラでHC/HCDレンズを使用するためのアクセサリーのXHコンバーター 0,8は、より広い画角と、改良された最大絞りを提供し、トムの典型的なポートレート撮影スタイルをf/11からf/1,8に至るワイドな範囲に広げ、驚くほど大胆なビジュアルを作成しました。

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4人の写真家、ガンジス川を行く

ガブリエル・フローレス、ジョー・グリア、ジェレミー・スネル、ダン・トムの4人の写真家は、1億人以上の信者が集まるヒンドゥー教の巡礼「クンブ・メーラ」が行われるインド中部のガンジス川に向かい、ユニークな視点と個々の写真スタイルでこの異文化の旅を記録しました。

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ハッセルブラッド H6D-100c 

日本画の最大規模の展覧会「院展」の図録の作成およびアーカイブ化に活躍

より多くの光を取り込むことができる、一億画素のセンサーを搭載したハッセルブラッド H6D-100cは、高解像度の画質が求められる美術作品の撮影でも多く活躍しています。公益財団法人日本美術院が主催運営している日本画の公募展覧会の院展の図録の作成およびアーカイブ化でもH6D-100cの最高クラスの画質と解像度は、その性能を最大限に発揮しています。

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TOM OLDHAM

クルーナーズの最後

ポートレートフォトグラファーのトム・オールドハムのシリーズで受賞歴のある、「クルナーズの最後(The Last of the Crooners)」は、ロンドン東部にある彼の地元のパブ「パームツリー(The PalmTree)」で出会ったジャズミュージシャンのグループを撮影した作品です。

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Anna Davis and Daniel Rueda

新製品907X 50Cで視覚的世界を広げる

クリエィティブデュオで、ハッセルブラッドアンバサダーのアンナ・デービスとダニエル・ルエダは、新製品907X 50Cの発売を祝い、ハッセルブラッドの長い歴史からインスピレーションを得て、ハッセルブラッドの最も有名な特徴を表現した作品を発表しました。彼ら独自の視覚的世界が広がる、「クローン作成の状況」、「レコードプレーヤーとの融合」、「自身の星座のマッピング」などの各作品はNASAとの協業へも繋がった、ハッセルブラッドカメラの「優れた耐久性」、「クラシックなデザイン」、「テクノロジーの背後にある革新性」を具現化したものです。

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Adam Weist

冒険心を掻き立てるニュージーランドの亜熱帯雨林と活火山

世界が一変した2020年3月、ロサンゼルスを拠点とするフォトグラファーのアダム・ウェイストは、世の中の喧騒から離れ、地球の反対側のニュージーランドの魅惑的で夢のような景色の中にいました。亜熱帯雨林の豪雨の真っ只中から活火山の雪嵐まで、X1D II 50Cで撮影したアダムの作品は、ニュージーランドの美しさを見事に映し出し、風景写真家の憧れの地に私たちを誘います。

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